汝、愛に生きよ
尊敬する人に、愛とはなんですかと問いかけたら、その人のために死ねるということです と言われました。
たしかに。
ある日猫の親子が住む空き家で火事が起こったとき母猫が 消防士でさえ入るのをためらうほどの火の海の中に躊躇なく何度も足を踏み入れ 中に取り残された自分の子猫を顔面が半分爛れながらも全員助け出したという話を聞いたことがあります。
たしかに、わたしも自分の犬が1匹で火の中に取り残されていたら迷いなく命をかけます。
そうなれば自分の命なんて惜しくない。
犬が助かるなら、死なんて恐ろしくともなんともないです。
生に頓着がある訳ではないと思っているけど、生か死を選べと言われたら、たぶん生のカードを引きます。
引きたいと強く思いながらカードに手を伸ばすと思うし、天もわたしに味方すると思います。
自分の死に様を知りたいから。
死に様に、その人の生きた意味も意義も全てが映し出されると思っているから。
なんてスカしたような言い方だけど、本気でこう思っています。
愛 とは、ここまでの感情なのでしょうか。
だとしたら、わたしはこの先一生誰かのことを愛せる気がさらさらしないです。
かっこいい とか 大人っぽい とか すごくたくさん言われるんですよね。
わたしのことを知っていてある程度理解してくれている人にも言われるんです。
自己肯定感は高いです。じぶんで言えるくらいには。
ただ、この肯定感は未来のわたしに対するもので、今までなに1つ積み上げて来られなかったと思っている過去の自分に対する肯定感は、ほぼ、存在しません。
過去なんてなかったことにして目を背けています。
だって、今までのわたしはずっとノリと勢いだけでどうにかなってしまっていたから。
経験値なんてぜんぜんないけどわたしは共感力が高いので。他の人の出来事がさも自分の人生の一部であるかのように思えてしまうんです。
だから、酸いも甘いも経験したような女だと思われがちなんですが、ぶっちゃけ、これはまじで損な役回りです。
だって、愛とかまじでわかんないし 笑
'大人' が途端にギャルを好きになるのは、彼女たちが、今を 愛をもって生きているからだと思うんですよね。
愛することに意味を求めて、ぐだぐだつらつら言い訳を並べて、自分を正当化して弁護で固めて、周りをがちがちにしないと愛することさえ満足にできない。
ダッサ。
大人、まじでダサい。
好きなら好き、嫌いなら嫌い。
好きな人や物には120パーセントの愛を、見返りも求めず。
犬も 猫も ギャルも あなたも わたしも。
愛のために生きて、愛のために死ね。
たとえそれが虚構だとしても、信じた者の勝ちです。