わたし

好きな男が死んだ。

 

もうひとりの好きな男は死にかけた。

 

大切な人はわたしの目の前で電車に飛び込んで死んだし、もうひとりの大切な人は愛する人の心が見えなくなって死のうとした。

 

わたしの底が浅すぎる心には収めきれることができない1年だった。正直、もう容量が残っていない。

生とか死とか、男とか女とか、恋とか愛とか、勉強とか受験とか、もうなんだっていい。どうなったっていいよ。投げやりとかそういうのじゃなくて、人間死ぬときは死ぬ。愛されてるとか愛されてないとか、必要とされているとかされていないとか、本当に関係ない。案外簡単に、本当に簡単にあっけなく死ぬ。だから今を大切に生きようと思うのであれば、好きだと愛しているんだという気持ちは目で口で体で、あなたが持ちうるすべてで伝えようね。

目は口ほどに物を言うよ。小っ恥ずかしいなら見つめればいいのに、自分の気持ちを伝えられないことの方がよっぽど恥ずかしいと思うけどな。

わたしにとって何が一番大切で、何を一番大切にしなければいけなくて、絶対に見失ってはいけないのか。かろうじてそれだけは見えるようになった。これだけの思いをして何一つ収穫がなかったら自分で自分の舌をかみ切って絶命しているところだった。

 

あの人は自分の心のうちを言葉に落とし込めることが好きじゃないらしい。確かに彼らしい、わたしにはわからないけど。

自分で作った宝石を自分の中だけに閉じ込めて自分だけが見つめていたいんだって。他の誰かに見られたらその宝石は輝きを失ってしまうと思っているから。

目標も夢も言葉にしない、自分だけが知っていればいい。それを実現できたときにはじめて言葉にするし全部話したらおもしろくないからって8割しか教えない。

本当はまだ世界はキラキラしていると信じたいくせに自分はもう汚れてしまったからって自嘲するよね。ああなんて不器用で人間臭くて色っぽいんだろう。不完全で未完成のものはやっぱりどうしたって愛しくて困っちゃうね。

 

あなたならi love youをどう訳しますか。月光に照らされた女の子は日光の下よりも何倍も艶っぽいから夏目漱石はあの訳にたどり着いたのかな。